江戸時代 の 碁 の家元 本因坊家と井上家、安井家、林家の四家 の内で時の最強者 本因坊道策 の下には天下の才能が集まったが、厳しい修行が仇となったのか次々と夭折したそうです。
四世本因坊道策は当時の実力者たちを軒並みなぎ倒し、全て向先(ハンデの種類)にまで打ち込み、実力十三段と称揚さていました。もちろん名人にも文句なしに就任していました。始祖算砂、棋聖道策と言う二人の不世出の棋士により、本因坊家は名実共に四家の筆頭となったそうです。
このうち本因坊道的は19歳の時すでに師の道策と互角であったとされ、 囲碁 史上最大の神童といわれました。晩年、道策は道的に劣らぬ才能本因坊道知を見出し、これを後継者としました。道知もまた後に名人碁所となったそうです。
道知以後は本因坊家の家元も三代にわたって六段止まりとなり、囲碁界自体も沈滞の時代を迎えました。しかしここで現れた九世本因坊察元は他家を力でねじ伏せて久々の名人となり、本因坊家に中興をもたらしました。
18世紀末から19世紀初頭は十一世本因坊元丈と安井家八世の知得の角逐時代を迎えました。両者は80局以上に及ぶ対戦を重ねたそうですが、戦績はほぼ互角で、囲碁史上最高のライバルと謳われました。後の十一世井上幻庵因碩・十四世本因坊秀和と合わせ、名人の力を持ちながら名人になれなかった者として「囲碁四哲」と呼ばれました。
十二世本因坊丈和は 棋力 は第一級であったが、幻庵因碩と碁所の座を争い、策略を駆使して名人位に就いたために後世に悪評を残しました。ただしその腕力は史上でも随一とされ、幻庵因碩が刺客として送り込んだ愛弟子赤星因徹を「三妙手」で返り討ちにした松平家の 碁会 は 江戸 囲碁 史のハイライトとされています。
丈和隠退後、幻庵因碩は名人位を望みましたが、これに抵抗したのが本因坊一門の若き天才児本因坊秀和であったそうです。秀和は本場所というべき御城碁で幻庵を撃破し、その野望を阻みました。秀和は史上最強の棋士として名が挙がるほどの実力であったが、名人位を望んだ時には世は幕末の動乱期に突入しており、江戸幕府はすでに囲碁どころではない状況に陥っていたそうです。
本因坊秀和の弟子である本因坊秀策は若い頃より才能を発揮して、御城碁に19戦19勝と言う大記録を作ったが、コレラにより夭折してしまいました。秀和と秀策と秀策の弟弟子である村瀬秀甫(後の本因坊秀甫)の三人を合わせて三秀と呼び、江戸時代の囲碁の精華とされています。
囲碁 は江戸時代には武士だけではなく、各地の商人・豪農が棋士を招聘して打ってもらうことが良くあり、落語の『碁打盗人』で有名なように、市井でも盛んに打たれていたそうです。
(ウィキペディアより引用)
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